学校英語で英語を使えるようになるのか?⑩~学校を「公」の場に2

前回では、
「教育」を学校に取り戻すためには、
(a)情報の共有
(b)三者(学校・子ども・家庭)の協力体制
(c)「公」の場と「私」の場の再認識
の3つが必要であるとお話しました。

時間をかけ、磨きあう「教育」

この3つは、一つ一つを独立して
存在しているのではなく、複雑にスパイラル状態で
からみあっているものです。

ですから、すぐにこの3つを
解決することができるようなものではありません。

教育は、時間をかけて成長し、
人間の力で磨きあうことにより、
その国のアイデンティティを形成していくものですから。

戦後70年間で、
日本は教育をここまでひどい状態に放置してきたのだから、
これから試行錯誤を繰り返しながら、日本の教育の
「あるべき姿」を求めていく必要があるのです。

改革は、小中連携で

実際に、
この方向で、教育改革をするためには、
最低限、中学校の学区単位で取り組む必要があります。
なぜなら、教育委員会は、文科省の言うとおりにしか
動けないので、どうしても、変革しようとすれば、
小中連携し、同一歩調で、同じゴールを目指した
取り組みをしなければ意味がなくなってしまうからです。
そうすることにより、地域を巻き込んだ
家庭の意識改革も目指していくのです。

そして、それぞれの学校長は、
このような変革を起こすために、
「新しい行事」を増やすのではなく、
普段の教育活動の中で、新しい指針を示していくのです。

そして、「その変化」が起こるのには
「時の流れ」も大切であることを、
三者がしっかりと理解した上で、
新たな教育活動を地道に実践していくのです。

学校の教育活動に「背骨」があるのか

私が先ほど挙げた
(a)(b)(c)のポイントは、
実は、どの学校でも行っていることです。

ただ、そこに、
その学校の「背骨」とも言える「理念」があるのかが、
大きな差を生むのです。

その時に生じたトラブル、問題だけに対応した
その場限りの指導では、何も子どもたちに
身に付けさせることはできません。

その学校がある学区の特徴や地域の特色から
派生してくる「理念」を見出し、それを
広い意味で教育に携わる者たちが、
共通理解することが、難しいことではありますが、
必要不可欠なのです。

いろんな場面で、機会をとらえて、
とはよく言われることですが
(全教育活動を通して、というものです)
それも「背骨」がうまく、繋がっていないと
動くことができないのです。

そういう意味では、
やはり学校長が果たす役割は大きいです。

学校が、
保護者、子ども、教員に
その理念を伝える努力をすることから
改革は始まります。

「理念」があるかどうか、で物事は
その「ありよう」が変わるのです。

今回はここまで。
次回はポイントの②教育の商品化の否定、についてです。

 

「学校英語で英語を使えるようになるのか?」は
「①」から「⑫」まであります。
時間がある方は、下記をクリックをしてどうぞお読みください。

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