今回は、
「英語を使えるようになる」ために必要な
3つのポイントの2つめ、
②教育の商品化の否定 についてお話します。
「教育の商品化の否定」は、
ポイントの①学校を「公」の場に と大きな関連があります。
教育の商品化は「規制緩和」から
教育の商品化は、
私見では政府の「規制緩和」が始まったころから
まん延してきたものです。
「規制緩和」は、
民間の活動を阻害する規制を取り除くことを意味し、
日本では特に小泉政権下で急速かつ強力に推し進められ、
経済の活性化を目的とし、市場原理主義をもたらし、
格差社会の原因ともなったという面もあります。
この政策は、政府はもちろん
経済発展のために推進したのですが、
それを「経済」とは全く異質の「教育」に対しても
国民は求めるようになってしまったという経過があります。
「規制緩和」は、
消費者のニーズに誠実に応じた企業・会社が生き残ることを
推進していくものですが、それが過熱し、
どんどん「消費者に都合のいい」会社だけを
勝ち残らせました。
「都合のいい」教育
そうすると、次第に
消費者は、教育に対しても「都合のいい」ものを
求めるようになってきました。
それが、モンスターペアレントの登場を生み出し、
子どもたちも、「学習」をまるで、
コンビニにある「商品」にように考えるように
なってきたのです。
そうした方が、
消費者という保護者・子どもの両者にとって、
都合がよく、楽なので、この意識が広まるのは
あっという間だったはずです。
教育とは都合の悪いもの
ただ、
教育は、商品ではなく、
よりよい人格形成のために、
身心両面での努力・苦難を通して、
知識・技術・経験を与えること
だと思います。
すなわち、
あえて自分に都合の悪いことも含めて
学んでいくことが必要なのです。
そうすることにより、
知見・経験が広がっていくのです。
商品化の否定
この商品化を否定していくためには、
まずは、
「市場化」してしまった学校を
もとの「公」の場へと戻すことが大切です。
前回のブログ(「学校英語で英語を使えるようになるのか?⑩)で
~その学校教育に「背骨」とも言える「理念」があるのか~
というお話をしましたが、
その「背骨」の礎の部分として
今であれば、この「教育の商品化」の否定を
しっかりと組み込まなければいけないのです。
すなわち、
・時代背景としての「教育の商品化」
↓
・それを基にした学校教育の「理念」
↓
(a)情報の共有 (b)三者の協力体制 (c)「公」の場と「私」の場の再認識
↓
・教育の「商品化」の否定
のような流れで、変革を展開していく必要があるのです。
すなわち、
学校・保護者・子どもの三者が、
『現在の学校では、
教育が商品化してしまい、「公」の場となっていないため
本来私たちが望むべき教育活動ができない』、という共通認識を
もち、そこから具体的な具体策を考えなければいけない、
ということなのです。
このポイントも①のポイントと同じように
それぞれの学校の教育に対する「理念」が確固たるもので
なければ、実行しがたい変革だと思います。
今回はここまで。
次回で、長かったこのテーマも最後です。
「学校英語で英語を使えるようになるのか?」は
「①」から「⑫」まであります。
とうとう次で終わりです。
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