前回では、明治時代のころ、英語学習者は、
①言語環境の悪さ
②言語を学意欲の高さ(内発的動機、外発的動機)
のため、語学習得に集中しやすい状況であって、
「英語の達人」と言えるような人物を輩出することができた
ことをお話しました。
今の学校英語と比べると
それでは、今の学校英語をどうなのでしょう?
①言語環境について
明らかに学びやすい状況になっています。
その状況を列記すると、
・学校では、Native Speaker がいて、team teaching を
実施するところも増えています。
・音声に関しては、CD、DVD、そして電子黒板で「口の動き」
まで実際に見せて指導もできるようになっています。
・電子辞書も含めた、辞書を自由に活用できます。
・教科書は、訳読式中心であったものを、聞く・話す活動を
深めるコミュニケーション能力を高める工夫がなされています。
などのようになります。
すなわち、
・ICT活動による、音声のインプットの充実
・Native Speaker との team teaching 等による、
communication 活動の充実
・コミュニケーション能力の育成を踏まえた教科書等による
教材の充実、そして辞書の活用
がなされていると言えると思います。
巷の書店などを見ても、
「英語が使えない」日本人のコンプレックスの裏返しとして、
様々な英語学習に関するテキスト、文法書、音声教材が
溢れかえっている様子を見ると、
学習環境は、素晴らしくよくなっていることは
明らかですね。
②言語学習の意欲について
これは明らかに低くなっています。
(必要度は高まっているのに)
以前お話した内容と重なりますが、
下記のような状況があるからです。
・街中には、外国人が普通に観光や留学等の理由でよく
見かけるようになり、都市部では異文化理解、多文化共生の
方向で進んでいるとろこもあります。
その反面、
ー英語を話せなくても、何とかなる状況もできています。
例えば・・・
1)授業で Native Speaker が話していることが分からなくても
英語教師がフォローしてくれます。
2)またその逆に Native Speaker が、「話せない日本人」のために
簡単な英語表現でゆっくりと話してくれます。
3)team teaching の授業での外国人とのやりとりは、
ほとんどシナリオ(または型)が出来上がっているものが多く、
「本当の意味」のコミュニケーションは困難です。
4)地方都市では、夏休みや冬休みの期間を使って、「国際交流」
という名のもと一部の生徒をアメリカの地方都市にホームスティ
させたりしていますが、スマホの音声翻訳機能を通しての話し合い
で済ます生徒もいます。
言語環境が良くなると
これは、皮肉なことに
①の「言語環境の悪さ」が良くなりすぎてしまったがために
②の「意欲」が低下してしまっている結果なのです。
「自分」が英語を理解できなくても、
どこかに「英語に堪能な日本人」が翻訳した書物があり、
PCでは英語の文章を日本語訳する機能がついています。
こう考えていくと、
社会環境が発達すればするほど、
内発的動機付けも低くなり、
外発的動機付けも同時に下がっていくのです。
泥沼状態に
グローバル化を推進して、
英語力の必要性は、高まりながら
(なんたって、「英語を使える日本人の育成」ですからね)
ICT機器等の発達や学習環境の向上が
言語習得を阻害してしまっている泥沼状態に今、
日本の学校英語は陥っているのです。
今回はここまで。
「学校英語で英語を使えるようになるのか?」は
「①」から「⑫」まであります。
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