「教育は、100年の計」などと言いながら、
そんなのがどこかに吹き飛んでしまっているのです。
日本人が有するべき「アイデンティティ」
第二次世界大戦後、アメリカのもと、
日本は民主化へ大きく舵を切り、
資本主義・競争社会へとなって行きます。
でも、それはアメリカのもとでの変革であり、
あくまでも「アメリカ」の考えの社会であるはずなのに、
そうなること、アメリカの後を追っていくことが、
唯一の日本が発展する方法だと、
勘違いしてしまったまま、
今現在に至るのです。
ーアメリカを全否定しているのではありません。
「日本」であることをしっかり根底にもっている
のか、ということを言いたいのです。
(安倍首相は、アメリカによる憲法だから、日本人の手によるものが
必要だとの見解らしいのですが、それは「憲法改正」を自分が思うように
したいだけで、そこにしっかりした「日本人」としてのアイデンディティを
確立させるのだと、などという思いはないようです。)
ですから、大きな話をすると、
本来日本人が有するべき「アイデンティティ」を
ないがしろにして、ここまで来てしてしまったため
「どのような姿が日本人のあるべき姿なのか」を
あいまいにしたままで
教育政策を推進していくためのロールモデルがないのです。
だから、対処療法的なつぎはぎだらけの政策・施策を打ち出すのです。
気づき始めた日本人
でも、今になって「それはおかしい」と
日本人は気づき始めています。
特に「安保法」に対するデモの様子や
沖縄県知事の言動は、
その現れだと私は考えます。
安倍首相が本当に
「戦後レジームからの脱却」をめざすのであれば、
逆に今が、大変革の機会だと思います。
(ただし、この言葉は単に憲法改正したいがために言っている
ようにしか思えませんが)
でも、今の政府の様子を見れば、
先日の「共謀罪」に関する強行採決を見てもわかるように、
従来のやり方をごり押ししているだけで、
政権内では、「以前はこんな反発はなかったのにどうしたんだ?」
と思っているのかもしれません。
その結果が、
今週末の各メディアによる世論調査の内閣支持率にも出ているし、
その支持率の低下が、昨日行われた「首相会見」へとつながって
いったのだと思います。
(あの「首相会見」が印象操作を目的としたものであることは
ともかく)
目覚めた日本人。
それに戸惑う政府。
そういう構図が私に見えてきます。
日本の教育もその中で、揺れているのです。
今回は、ここまで。
「学校英語で英語を使えるようになるのか?」は
「①」から「⑫」まであります。
時間がある方は、下記をクリックをしてどうぞお読みください。
コメント